札幌高等裁判所 昭和25年(う)275号 判決 1950年7月10日
控訴人 被告人 菅末松
弁護人 大塚守穗 外一名
検察官 樋口直吉関与
主文
原判決を破棄する。
被告人を禁錮三月に処する。
但しこの裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。
被告人から金一万円を追徴する。
理由
弁護人大塚守穗及び同大塚重親の控訴趣意及びこれに対する検察官の答弁の要旨はいづれも別紙記載の通りであつて、これに対する当裁判所の判断は次の通りである。
第一点について。
原裁判所は左の書面について検察官の請求により証拠調を施行し、且つそのうち最後の二つの書面はこれを判決に証拠として掲げている。
(1) 田村直美の裁判官の面前における供述調書謄本。
(2) 同人の検察官の面前における弁解録取書謄本。
(3) 同人の検察官の面前における第一回供述調書謄本。
(4) 田村ハツコの検察官の面前における供述調書謄本。
而して田村直美及び田村ハツコは何れも検察官の請求により原審の第二回公判期日において証人として尋問せられたが、本件公訴事実の存否に関し重要な事項につきその証言を拒絶したので、検察官は前記各書面の証拠調の請求をしたものである。これに対し原審弁護人から異議の申立があつたが、原裁判所はこれを却下し、右各書面は何れもこれを証拠とすることができるものと認めて証拠調を施行したのであるが、当裁判所は原裁判所の右見解は結局正当であつて、憲法違反又は不当に憲法を解釈して適用した違法はなく、従つて原判決は被告人の自白のみを以て有罪の事実を認定した違法はないと判断する。
しかし、原裁判所は右弁護人の異議を却下する理由として、右書面は刑事訴訟法第三百二十三条第三号に当るものであると説明しているので、先づこの点について検討を加える必要がある。
そもそも右書面はいずれも検察事務官作成の謄本であり、且つその内容から判断して見ると、これは特に本件被告人の本件被告事件の証拠とするために作成せられたものでなく、別事件のために作成せられたものであることは明らかである。原裁判所はこの事実よりして、右書面は刑事訴訟法第三百二十三条第三号に該当すると判断したものであろうが、それは誤りといわなければならない。何となれば第三百二十三条は第三百二十一条乃至第三百二十八条の他の規定とともに第三百二十条の例外を規定したものであつて、即ち原則として第三百二十条を以て禁止せられた伝聞証拠のうち、特別の条件を具えたものに対し証拠能力を与えた規定である。而して右例外規定のうち第三百二十一条乃至第三百二十四条はその伝聞証拠の内容が正確であり且つ信用し得べきものであることが情況的に保障されているものであつて、しかもそれを証拠とする必要のあるものに限り、それが伝聞証拠であり且つ供述者に対する被告人の審問権を行使させることができなかつたものであることを裁判官が考慮に容れることによりこれを証拠とすることができることとした規定であつて、この条件の軽重に従つて区別がなされているものであるから、当該被告事件の当該被告人以外の者が作成した供述書又はその者の供述を録取した書面であるならば、即ち第三百二十一条の適用を受けるものであつて、それが当該被告事件の証拠とするために作成せられたものであるか又は他の事件のために作成せられたものであるかには関係はないものと解釈しなければならない。
右に述べた見解からすれば本件の各書面はいづれも被告人菅末松以外の者の供述を録取した書面であるから第三百二十一条所定の条件を具えた場合にのみこれを証拠とすることができるものといわなければならない。ところで原裁判所はこれを第三百二十三条第三号に該当すると判断して証拠能力ありとしたのではあるけれども、次に説明するように右各書面は第三百二十一条第一項第一、二号に該当し、これを証拠とすることができるものであるから、原裁判所がこれを証拠能力ありとしたのは結局正当であることに帰着する。ところが本点控訴趣意の(八)項乃至(十)項には原裁判所がその訴訟手続の中途において本件書面が証拠能力ありとする理由について表示した判断の誤りを攻撃するのである。しかしながら元元証拠調に関する異議の申立についての決定は抗告を許さないものであるから特に理由を附する必要はないのである。従つてたといその理由において誤りがあつても結論において正当であるならば、それは判決破棄の理由となる訴訟手続の違反には当らないのである。所論引用の高等裁判所の両判例は、いづれも特定の書面を、証拠物として証拠調をなすべきか、又は証拠書類として証拠調をなすべきかに関する判例であつて、本件には適切でない。
ところで今本件各書面について調査するに、(1) の書面が裁判官の面前における被告人以外の者の供述を録取した書面で、供述者の署名押印のあるものであることは、記録編綴の右書面(九十七丁以下)を見れば明瞭であり、その供述者田村直美が公判期日においてその実質的な尋問事項につき証言を拒絶したことは前に述べた通りであつて、しかもその書面を検討するに、供述の内容は任意になされたものと認め得るものであるからこの書面は第三百二十一条第一項第一号に当り証拠とすることができるものである。又(2) 乃至(4) の書面は、検察官の面前における被告人以外の者の供述を録取した書面で、供述者の署名のあるものであることも亦記録編綴の右各書面(九九丁以下、一〇二丁以下及び一一〇以下)を見れば明瞭であり、その供述者田村直美又は田村ハツコがいづれも公判期日においてその実質的な尋問事項につき証言を拒絶したことは前に述べた通りであつて、その検察官の面前における供述が、いづれも任意になされたものであることは、書面に供述者の署名のあること、及びその供述の内容の本質的な部分において互によく符合し、又被告人の検察官の面前における供述(検察官の被告人に対する昭和二十四年三月十日附調書及び、同じく同月十五日附第二回供述調書による)ともよく照応することにより、充分これを認めることができるのであるから、これ等の書面は第三百二十一条第一項第二号に当り、証拠とすることができるものである。而して本件のように供述者が公判期日において証言を拒絶した場合にも刑事訴訟法第三百二十一条第一項第一、二号の適用があると解する理由について、次に控訴趣意の項を追つて説明しよう。
(一)これ等の書面が証拠となし得るために、それぞれ一定の条件を必要とすることは各法条の示すところである。そもそも刑事訴訟法は憲法第三十七条第二項に基き、伝聞証拠の性質を有する供述と書面とを原則として証拠とすることを禁止したのであるが、当該伝聞供述の内容をなす本の供述者から重ねて公判廷で証言を得ようとしても、それが不可能な場合で、しかも犯罪事実の存否の証明のために必要であるという場合には、特にその供述が不正確又は不信用の危険のないものであることが保障される条件の揃つた場合に限つて、これを証拠とすることができることとし、その条件を規定したのが第三百二十一条以下の条文であることは既に説明した。従つて第三百二十一条第一項第一号及び第二号にはいづれも「その供述者が死亡、精神若しくは身体の故障、所在不明若しくは国外にいるため、」と規定するのは、それは公判準備又は公判期日において供述することができない事由として例示的に掲げたものと解すべきであつて、本件のように証人が証言を拒絶したために、その証人からは重ねて公判廷で証言を得ることが不可能な場合にも本条によつて他の条件を充足し、信用し得べきものであることが保障される限り、その証人の供述を録取した書面を証拠とすることができるものとしなければならない。本条は第三百二十条の例外規定であるから厳格に解釈すべしとする所論には賛成であるけれども、それは被告人の権利と利益の保護に忠実でなければならないという意味であつて、法律の精神を追求すれば以上の如く解することによつて、何等被告人に不利益をもたらすものではないのであつて、若し反対に解釈することによつて被告人が利益を得るとすれば、それは社会のために正当に処罰されなければならない者がその罪を免れることの利益であつて、それは不当なことであり、憲法がかかる不当な利益を被告人に与えんとする趣旨でないことはいうまでもない。
又証言の拒絶は証人に与えられた権利であることは勿論であるけれども、それ故にこそ証人が証言拒絶権を行使したときは立証者側にとつては証人の死亡と同じく、その証人より直接の証言を得ることの不可能なるに立至つた不可抗力的原因となるものであつて、これが証言不能や証人の死亡と同一視しなければならない論拠を覆す理由とはならない。
(二)以上のように解するとすれば、被告人にとつては憲法第三十七条第二項によつて認められた証人に対する審問権を奪われる結果になるのであるが、刑事訴訟法第三百二十一条第一項第一、二号に文言上明らかな場合でも、既に被告人の審問権は奪われているのであつて、それは被告人の審問権を奪つても尚且つその書面に証拠能力を与える必要があるからであり、又それが故に法律は厳重にその供述の信用性の保障を要求し第二号但し書の制約を設け又は第三百二十五条の規定を置いたのである。被告人の責に帰すべからざる事由によつて被告人の証人に対する審問権を奪われる結果となることは、証人の証言拒絶の場合も、証人の死亡の場合も同様であつて、被告人のためには気の毒であるが、前記のような必要性の上から已むを得ない制度といわなければならない。
(三)証人が公判廷において証言を拒絶したときは第三百二十一条第一項第一号に所謂「前の供述と異つた供述をしたとき」、又は同第二号に所謂「前の供述と相反するか若しくは実質的に異つた供述をしたとき」に当らないことは、控訴趣意の主張通りであるが、この点は当裁判所の本件事案の判断に影響がないから説明を省略する。
(四)憲法第三十七条第二項には被告人に、すべての証人に対して審問する機会を充分に与えられるべきことを規定しているのであるが、これは伝聞証拠が不当に被告人の不利益に利用せられた過去の歴史に鑑みて、反対尋問を経ず、従つて証拠価値の少いにも拘らず信用せられる危険性のある伝聞証拠を排斥することによつて、被告人に不当な不利益を与えることをなくしようとする精神であつて、これによつて被告人に不当な利益を与えることを許したものではない。伝聞の証拠は、たといその供述が正確であり且つ信用すべきものである事情が充分に保障されている場合でも、絶対にこれを証拠とすることができないとするのは、被告人の利益を強調するの余り、正当に処罰せられなければならない者を逸することによる社会全般の不利益を顧みない議論であり、被告人の権利の濫用であつて、憲法自体このような事態を肯定するものではない。従つて被告人がもともと審問権を有するにかかわらずこれを行使することができなかつたことを充分に考慮した条件を附けてこれに証拠能力を認めることとした刑事訴訟法第三百二十一条は、憲法違反を以て目すべきものではない。
而して証人が証言拒絶をした場合にも第三百二十一条第一項第一、二号の適用を受けると解すべきことは前の説明の通りであつて、同条をこのように解することも亦憲法違反ではない。
(五)証人が証言を拒絶した場合に証人の態度を以て直ちに尋問事項を否認したものと解すべからざることは、控訴趣意の説く通りであるが、これは当裁判所の本件事案の判断に影響のないところであるからその説明は省略する。
(六)証言拒絶の場合は、刑事訴訟法第三百二十一条第一項第一号及び第二号に所謂「供述者が死亡、精神若しくは身体の故障、所在不明若しくは国外にいるため公判準備若しくは公判期日において供述することができないとき」の一つの場合に当ると解することは既に前に説明の通りである。
(七)所論のように基本的人権の制限規定の解釈は極めて厳格にすべきものであつて、みだりに拡張類推的解釈を採るべきでないことは、勿論である。しかし憲法の精神はその文言に謬着して解釈し得るものでないこと前の説明の通りであつて、証言拒絶の場合をも第三百二十一条第一項第一、二号に該当すると解釈することは決してみだりな拡張類推的解釈ではない。
以上の通りであるから、本点の控訴趣意は理由がない。
第二点について。
刑事訴訟法第三百七十八条第三号に所謂「審判の請求を受けた事件」というのは、本件についていえば公訴の提起のあつた事件を指すのであつて、公訴事実として表示せられた訴因の一部について判断を脱漏したに止り、当該公訴事実と同一の事実と見られるものについて判決されている限り、それは審判の請求を受けた事件について判決をしなかつた場合には当らない。今本件において審判の対象となつている事件は何かというに、被告人が昭和二十四年一月十七日頃田村直美から金一万円の供与を受けたという筋の事実であつて、原判決も亦その事実について判決を下しているのであるから、原判決が審判の請求を受けた事件について判決をしなかつた場合とはいい得ない。
しかしながら、本件においては控訴趣意に指摘するように原判決は公訴事実として表示せられた訴因の一部について判断をしていない。即ち、昭和二十五年二月二日附の検察官の訴因罰条変更請求書によればその眼目とする訴因は、「被告人は林候補者の選挙運動者であるが、同候補者の当選を得しめる目的で田村直美から投票取纒め費用を含めた運動報酬として金一万円の供与を受けた。」という趣旨である。
選挙運動をなす者は選挙運動の費用の支弁を受けることができるのであつて、ただこれを支出するについて支出者側において政治資金規正法の制約を受けることになつている丈であるから、若し供与された金銭が選挙の運動の費用であるならば、それは候補者に当選を得しめる目的で供与せられるものであるけれども衆議院議員選挙法の罰則第百十二条には触れないこととなる。従つて本件公訴事実においては供与された金銭が訴因記載のように、投票取纒め費用を含めた運動報酬であるか否かは犯罪を構成するか否かを決する重要な要件となるのである。しかるに原判決は被告人が選挙運動者であることを認定しながら、右の点について何等判断をしないで単に「田村直美が林候補者の当選を得しめることを目的で供与するものであることを知りながら金一万円の供与を受けた。」と判示したのは、犯罪の成否に関する要件について判断をしていないのであつて、この判示では衆議院議員選挙法第百十二条第一項第四号第一号を適用して有罪の言渡をすることができないのに拘わらず、原判決が右判示事実に右法条を適用したのは、判決の理由にくいちがいがあるものといわざるを得ない。よつて原判決は刑事訴訟法第三百七十八条第四号第三百九十七条により破棄を免れないものである。
第三点について。
しかしながら供与を受けた金銭が、選挙運動の費用に当るか、運動報酬に当るかは、若しそれが区別されている場合にはこれを区別して証拠により認定すべきこと、もとより論のないところであるけれども、右の区別をしないで一括して費用及び報酬として供与を受けたものであるときは、その全額につき違法性を帯有することになるのであるから、全額につき有罪の判決をなすべきものと解するのであつて、この解釈は刑事訴訟法第三百十七条に違反するものでもなく、又憲法に違反するものでもない。所論引用の最高裁判所判例は右と反対の趣旨を判示したものとは読めない。
第四点について。
既に第二点についての判断の際説明した通りの理由によつて、原判決は破棄せらるべきものであるから、量刑不当を主張する本点については更に判断の必要がないから、これを省略する。
以上の通りであつて原判決は結局破棄すべきであるが、当裁判所は一件記録及び原裁判所が取調べた証拠によつて直ちに判決することができるものと認めるので、刑事訴訟法第四百条但書に従い次の通り判決する。
被告人は昭和二十四年一月二十三日施行せられた衆議院議員総選挙に際し北海道第五区から立候補した林好次の選挙運動者であるが、網走市南四条東一丁目田村直美から同人が林好次候補者の当選を得しめる目的で投票取纒め費用及び運動報酬として一括供与せられるものであることの情を知りながら、同月十七日頃右田村方で同人の妻田村ハツコを介して金一万円の供与を受けたものである。
右の事実は、
(一)検察事務官作成の、検察官の面前における田村ハツコの供述を録取した供述調書謄本。
(二)検察事務官作成の、検察官の面前における田村直美の供述を録取した第一回供述調書謄本(二通)。
(三)検察事務官作成の、検察官の面前における被告人の供述を録取した第二回供述調書。
を綜合してこれを認める。
法律によると、被告人の判示行為は公職選挙法の施行及びこれに伴う関係法令の整理等に関する法律第二十五条第一項衆議院議員選挙法第百十二条第一項第四号第一号に当るので、所定刑中禁錮刑を選択し、その刑期範囲内で被告人を禁錮三月に処し、なお情状刑の執行猶予をなすのを相当と認め刑法第二十五条によりこの裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予し、被告人の収受した金一万円はすでに費消してこれを没収することができないから衆議院議員選挙法第百十四条に従い同額の金員を被告人から追徴することとする。
よつて主文の通り判決する。
(裁判長判事 竹村義徹 判事 西田賢次郎 判事 河野力)
弁護人大塚守穂及び同大塚重親の控訴趣意
第一点原審裁判は証拠として採用すべからざるものを証拠として採用し且つ犯罪事実認定の証拠として判決に援用したる不法がある。
原審判決は証拠として田村直美の検察官に対する第一回被疑者供述調書及田村ハツコの検察官に対する供述調書を援用している尚判決には援用していないが右の外左記の書類を証拠として採用した。
記
田村直美の弁解録取書同人の勾留尋問調書
検察官が是等の書類の証拠調を求める根拠として田村直美及び田村ハツコの証言拒否を挙げた。
弁護人はその理由の該らざること殊に憲法違反の証拠調要求であると主張した。
裁判官は刑訴三百二十三条第三号又は刑訴三百二十一条第一項に該当する適法の要求なりとして之等を採用した。
右裁判官の採用並に判決に証拠として援用したことは左記の如き理由により憲法を適用せざるか又は不当に解釈して適用した違法がある。尠くとも刑訴三百二十一条第一項及び刑訴三百二十三条の解釈を誤り証拠として採用すべからざる書類を採用し且つ判決に援用したる不法がある。
而して右書類以外には被告人の自白のみであるから、此の不法は判決に影響を及ぼすことが明らかである。
記
(一)証言拒否は証言不能でない。
法は証人が死亡、疾病、行方不明及び国外に在る場合即ち四つの原因により公判に於て供述することができない場合と限定しているのである。
本件の証人は何れも健康で出廷しているので右四つの場合のどれにも該当しない。或者は右は例示的と解すべきものと主張するが条文は明らかに四つの場合と限定している。
元来刑訴三百二十一条は刑訴三百二十条の大原則の例外規定であるから、厳格に解釈すべきものである。
殊に刑訴三百二十条は憲法第三十七条第二項の大原則に則つて制定した条文であり刑訴三百二十一条は、憲法第三十七条第二項の例外的規定であるから、その解釈は最も厳格に解釈すべきものである。
証人達は法によつて与えられている権利に基いて証言を拒んだのである。
証言拒否を証言不能と解するは違法である。
尚刑訴三百二十一条の英文を見ると供述不能の原因として、例示的な意味が全然ないことを附言する。
(二)若しも証言拒否を理由として検察官の作成した供述書又は裁判官の勾留尋問調書を証拠とすることが出来ることになれば被告人は憲法第三十七条第二項の証人に対する審問権を不当に奪わるるのみならず、最悪の情況の下に於てなされた供述が最悪の情況の下に作成された録取書となつて被告人の不利益な証拠となるのである。これでは被告人の責任に帰すべからざる第三者の行為により憲法上の基本的権利を失うことになる。
故に刑訴三百二十一条第一項第一号第二号に所謂「供述不能」とはあくまでも客観的故障による不能の場合と解すべきものであつて、主観的に任意に拒否した場合は包含せざるものと解すべきである。
(三)証言の拒否は刑訴第三百二十一条第一項第一号第二号に所謂「前の供述と相反するか若しくは実質的に異つた供述をしたとき」に該当しない。
相反するとか、実質的に異つた供述とは二つの供述が存在することを前提要件とする。
然るに本件の証人は証言を拒んだのであるから比較すべき供述がないのである。公判調書に「証言を拒む」旨の記載は規則の第百二十二条の陳述であつて「証言」ではなくて「供述不存在」を証明する記載である。
故に証言拒否を先の供述と相反する供述と解釈することは実験則又は条理に反する。
尚刑訴三百二十一条の英文を一読すれば証言を拒んだ場合即ち証言を与えざりし場合は、絶対に含まざることは明らかである。
(四)刑訴三百二十一条は憲法違反の立法である。
従つて該法条により検察官が提出した書面を証拠として採用することは憲法違反である。
憲法第三十七条第二項に刑事被告人はすべての証人に対して審問する機会を充分に与えられる旨明記している。
刑訴三百二十一条によつて提出する書面(供述)はすべて被告人に審問する機会を与えざる供述である。
少なくとも刑訴三百二十一条に所謂供述不能に供述拒否も含むと解釈することは、憲法三十七条を適用せざるか又は不当に解釈することは、憲法三十七条を適用せざるか又は不当に解釈して適用した不法がある。
(五)次に証言拒否の場合の証人の態度を以て尋問事項の否認と解し先になした供述と相反するものがあるならば、これは恐るべき暴論である。
そもそも証人の証言とは、言語による事実の説明であつて、証人の態度は絶対に証言ではない。従つて態度から否認の意思表示(供述)の存在を認定することは根本的な錯誤である。(尚沈黙を暗黙の自白と解すべき場合については、フランクリン、M、クレムル著、藤本孝夫訳、アメリカ刑事証拠法概要の五十七ページ以下を参照されたし、)
(六)証言拒否は結果においては、証言不能と同一であるから証言不能の一態様と解すべきものと主張するものがあるが、これは検事の立証が失敗に終つたと言う点が結果に於て同じなのである。
恰も人が旅行不在と死亡とは事実は違うのである。目の前にその人を見ることが出来ないと言う点は結果に於て同一であることに似ている。
(七)尚英法コンモンロー及びアメリカ合衆国聯邦刑事訴訟法に於ける被告人の証人に対する審問権の制限は真に必要且つ止むを得ざる場合に限り之を認め且つ被告人の審問権を尊重する立前から幾多の条件を附して之を認めているのであつて、基本的人権の尊重につき到れり尽せりと謂うことができる。(司法研修所発行ケニイ英国刑事法要論百四十三ページ以下、同所発行米連邦刑訴手続百四十九ページ以下百五十九ページ参照されたし)合衆国憲法修正箇条第九条日本憲法第九十七条、九十九条等に照して基本的人権の制限的解釈は極めて厳格にすべきものであつてみだりに拡張類推的解釈を採るべきでない。
(八)原審裁判官は証拠として採用した前述の書類の内当該被告事件の記録以外の書面は証拠物と解し刑訴三百二十一条第一項に該当する書面なりや否やを審議する必要なしとし慢然刑訴三百二十三条第三号を適用して之を採用した。
これは証拠書類と証拠物とに関する刑事訴訟法の解釈を誤つて適用し憲法三十七条第二項を適用せざる違法がある。
札幌高等裁判所昭和二十四年(を)第六十一号被告人李[吉吉]興に対する窃盗被告控訴事件の判決は原審裁判官の見解を支持する如く見える。
若し果して然りとせば札幌高裁の右判例は明らかに違法である。此の点については、東京高等裁判所第十二刑事部昭和二十四年(を)新第七百二十六号被告人塚原住太郎に対する窃盗及び放火未遂被告控訴事件の判決の方が正しい。
札幌高等裁判所の前示判例は大審院の従来の判例に基いたように解せられるが、尠くとも新刑訴法の証拠に関する法規の解釈には大審院の判例はあてはまらない。
(九)刑訴三百二十一条乃至三百二十八条は書面の証拠能力に関する規定であることは、一点疑問の余地なき処であつて、従つて刑訴三百二十一条は供述書、尋問調書が当該事件のものであるか、又は別事件のものであるかによつて適用を二、三にすべきでない。
苟くも刑訴三百二十条に所謂「公判期日における供述に代えて書面を証拠とする。」場合は刑訴三百二十一条乃至三百二十八条をひとしく適用してその書面の証拠能力の有無を決定すべきである。検察官が証拠調を請求している供述調書尋問調書は何れも「公判期日に於ける供述に代えて」証拠として提出した書面であるから、憲法第三十七条第二項、刑訴三百二十条の規定の命ずる処により、刑訴三百二十一条乃至三百二十八条を適用しその証拠能力のあることを確認した上でなければ証拠として採用することは違法である。
(十)旧刑訴法時代においては捜査に関する記録は殆ど全部一括して公判請求は、又予審請求と同時に裁判所に送附せらる。
然るに新刑訴法に於ては起訴状以外は送附を禁ぜられているから、当該事件の記録とは起訴状及び公判準備又は公判期日における供述を録取した書面並に刑訴百七十九条第一項の書面其の他押収、捜索、検証、証人尋問、鑑定等に関し、裁判官が当該事件の処分として作成したる書面に限定せられるのである。
自然の結果として、検察官が犯罪事実捜査の途上に於て作成した関係人の供述書は全部当該事件の書類に非ざる書類となる。何となれば当該か別件かは裁判所の裁判記録で決定すべきで検察庁の捜査記録を標準とすべきでないからである。
然して当該事件の記録にあらざる書面は証拠物として提出することができるという解釈を採るならば新刑訴三百二十一条は全く存在の意義を失い新刑訴三百二十条の立法精神並に憲法第三十七条第二項の大原則は崩潰し去るであろう。
林派選挙法違反事件は被告人の数三十一名である。
検察官は一、二の例外を除きそれぞれ各人別に起訴をなし裁判官は内数名は併合決定の上審理し、而も一旦併合した事案を審理中再び分離決定したのもある。
これらの併合或いは分離を標準として、当該事件なりや別件なりやを判定することは余りにも形式的であり無意味である。
第二点原審判決は審判の請求をうけた事件について判決をせざる違法がある。検察官中村検事の提出した昭和二十五年二月二日附訴因罰条変更請求書には「投票取纒め費用を含めた運動報酬として……金一万円の供与を受けたのである」と記載してある。然るに判決理由には単に「金一万円の供与を受けた」旨の記載があるだけで、その金が「投票取纒めの費用を含めた運動報酬として」供与を受けたか否かの点を審判していない。
衆議院議員選挙法第百十二条第一項第一号第三号第四号は、単なる金銭の授受並に実費の授受を包含せざることは明らかにして、要するに「利益」の授受のある時に始めて有罪となるのであるから、前記一万円の授受が利益として、即ち報酬として授受されたかどうかを審判しなければならないに拘らず、原判決はこの点を審判していない。
第三点原判決に「当選を得しむる目的で供与するものであることを知り乍ら……金壱万円の供与を受けた」とある記載が仮りに審判の請求を受けた事件について、判決を下したものと解するならば、次の如き違法がある。即ち「投票取纒めの費用」と「運動報酬」とを判別せずして、漫然一万円全額を有罪と認定したのは完全なる理由を附せず、証拠によらずして、事実を認定し、法令の適用を誤つたものである。
従来の大審院判例や、最高裁判所の判例では、費用と報酬の判明しない時はその全額につき有罪の判決をして良いとしているようであるが、これは刑訴法第三百七十条に違反する判例であるのみならず実に憲法違反の判例であつて無効である。
憲法九十八条に所謂「国務に関するその他の行為」の中には裁判官の裁判を含むことは言をまたない。而して憲法第三十一条第三十七条第三十八条等により各人は証拠によらずして有罪とせられ、又は刑罰を科せられない基本的人権を有することは明らかである。従つて是等の憲法の条章に照して前示判決例は明らかに憲法違反であるから、右判例によらず専ら証拠によつて罪となるべき事実を認定すべきである。然るに原判決が、此の挙に出でず漫然一万円全額につき有罪の判断を下したのであるから違法である。(最高裁判所昭和二十四年(れ)第二百十五号被告人上野尚義に対する衆議院議員選挙法違反被告事件の同年七月十六日判決参照)
第四点原判決主文で被告を禁錮三月に処したのは刑の量定が不当である。本件記録中、被告人の検察官に対する供述調書(昭和二十四年三月十日附及同月十五日附)公判調書(昭和二十五年一月三十日附)によれば色々の委員その他の公職に就いて公の為に尽した人であり、起訴事実は有罪と認定すべきものとするも、専ら田村直美より働きかけられて受身であり、その一生涯を農民として真面目に食糧生産に従事したものである。
被告は選挙運動をしたことは前記供述書に述べられているから一万円を受取つたとしても、その大部分を費用に充当したりと見るべき事情にあつたことは証人菅勝巳の証言によつて推知できる。
一万円の金はインフレ前の百円以下の金である。之を禁錮三月は重きに失する。
目下御庁に繋属中の参議院議員候補旭川堀派の選挙違反事件の科刑と比較しても明らかに重きに失する。殊に堀派の選挙の行われた昭和二十二年三、四月頃の米価と林派の選挙の行われた昭和二十四年一月頃の米価とは、約九対一であつて(物価庁告示参照)貨幣価値は九分の一に下つていることを考慮に入れて比較すると明らかに重きに失することが解る。